義理を重んじる

私自身、義理人情には人一倍厚いほうだと思っている。
義理を重んじることは、人として生きる上で決して欠いてはならないものだ。

今の自分がここに立っていられるのは、決して自分一人の力ではない。
これまで出会ってきた数多くの仲間、
そして人生や仕事を通して導いてくれた恩師たちの存在があったからこそ、今の自分がある。

若い頃、何も分からず、がむしゃらだった自分に対して、
時に厳しく、しかし本気で向き合い、温かく指導してくださった仕事の師がいる。
その教えは技術だけではなく、仕事に向き合う姿勢、人としての在り方そのものだった。
年月が経った今でも、その方に対して心からの恩義を感じているし、
「いつか必ず、この恩は返さなければならない」
そう思いながら日々を生きている。

26歳の時、現場で数年ぶりにその師匠と再会したことがある。
作業の合間、何気ない会話の中で師匠はふと立ち止まり、
「愛弟子のお前に、これをやろう」
そう言って一つのライトを手渡してくれた。

高価な物ではなかったかもしれない。
だが、その瞬間、自分の胸には言葉にできないほどの想いが込み上げた。
認めてもらえたという喜び、見守ってくれていたという安心感、
そして何より、「お前は一人じゃない」という無言のメッセージだったのかもしれない。

そのライトは、今でも大切に持っている。
現場で判断に迷った時、
追い込まれ、苦しい立場に立たされた時、
ふとそのライトを見ると、師匠の背中や言葉が自然と思い出される。
そして自分を戒め、我に返り、
「もう一度踏ん張ろう」「逃げずにやり切ろう」
そう心を決めることができる。

義理とは、そういうものだと思っている。
形ではなく、心の中で生き続けるものだ。

義理は大切なものであり、軽んじてはいけない。
敵か味方かという立場を超えて、
義理を通し続ける人は、最後には必ず人として認められる。
時間はかかるかもしれないが、誤魔化しはきかない。

仕事で成功するためには、周りの人の力が不可欠だ。
一人でできる仕事など、たかが知れている。
その人と人との関係は、結局のところ義理によって成り立っている。

小さな親切でもいい。
助けてもらったこと、支えてもらったことを決して忘れてはいけない。
苦しい時に手を差し伸べてくれた人、
言葉をかけてくれた人、
黙って見守ってくれた人。
そうした人たちは、一生大切にすべき存在だ。

そして、自分が力を付けた時、
立場が変わった時、
必ずその恩を返す。
同じように、次の誰かを支える側に回る。
それが義理を受けた人間の責任だと思っている。

義理を軽んじる人は、最後は必ず孤立する。
どれだけ才能があっても、
どれだけ努力していても、
周りの人に見放されてしまえば、仕事は成り立たない。

義理こそが、人と人とを繋ぐ最も大切な絆だ。
目には見えないが、確かに存在し、
人生や仕事の土台となるもの。
これからも私は、この義理という言葉を胸に刻み、
人として、仕事人として、生きていきたい。