道を極める
道を極める、という言葉は重い。
簡単に口にしていいものではない。
派手な結果を出すことでもない。
人に認められることでもない。
称号や肩書きが増えることでもない。
極めるというのは、
「できることを増やす」より先に、
「ぶれない条件を増やす」ことだと思っている。
そしてその条件は、たいてい不便だ。
楽を覚えても、使わない。
近道を知っても、選ばない。
誤魔化せる場面でも、誤魔化さない方を選ぶ。
なぜなら、技術は上達する。
知識も増える。
だが、人間は油断する。
慣れた瞬間に、基準は下がり始める。
極めるというのは、その下がりを許さないことだ。
誰も見ていないところで、同じ基準を保ち続ける。
都合のいい言い訳が立つ場面ほど、
あえて言い訳を捨てる。
焦りが出る場面ほど、
手順を省かない方を選ぶ。
その選択を、
一年ではなく、
五年でもなく、
十年、二十年と繰り返す。
結局、極みは“瞬間”ではない。
積み重ねた日々の中にしかない。
道を極めるというのは、
新しいことを増やすことじゃない。
削っていくことだ。
余計な欲。
余計な比較。
余計な見栄。
余計な言い訳。
それらを一つずつ手放して、
最後に残ったものだけで立つ。
残るのは、たぶん地味なものだ。
基本、段取り、確認、記録。
当たり前の精度。
現場での小さな配慮。
そして、責任の引き受け方。
だが、その地味さが、最後は差になる。
この過程は静かだ。
結果が出るまで時間もかかる。
途中で離れていく人もいる。
派手さがないぶん、評価も遅い。
それでも続ける。
続けられるかどうかで、
極まるかどうかが決まる。
極めた人間は多くを語らない。
語らなくても、仕事の端々ににじみ出る。
判断の速さ。
手の動き。
段取りの無駄のなさ。
言葉の少なさ。
そして、ミスが起きたときの立て直しの静けさ。
それを見た人が、静かに気づく。
「ああ、この人は違う」と。
道を極めるというのは、
特別な才能を持つことではない。
同じ場所に、同じ姿勢で立ち続けることだ。
自分の基準を、毎日守り直すことだ。
自分はまだ途中だ。
極めたとは言えない。
だが、極めようとする姿勢だけは、手放さないと決めている。
今日もまた、選んだ道に立ち、
余計なことをせず、
やるべきことをやる。
それを積み重ねた先にしか、極みはない。
そう信じて来年も精進する。

