選ばなかった道

人は、選んだ道のことはよく語る。
だが、選ばなかった道については、あまり語らない。

そこには迷いもある。
未練もある。
場合によっては、悔しさも残る。
言葉にした瞬間、もう一度その感情を持ち直すことになるからだ。

だが実際には、人生を形作っているのは、
選んだ道と同じくらい、選ばなかった道だと思っている。


やろうと思えばできたこと。
声をかけられていた話。
条件だけ見れば、悪くなかった選択。

それでも踏み込まなかった道がある。

理由は単純だ。
その先に立つ自分の姿が、はっきり想像できなかったからだ。

想像できない、というのは能力の話ではない。
「続けている自分」が、成立していないという感覚だ。

無理をしている姿。
どこかで自分を削っている姿。
続けるために、何かをごまかしている姿。
帳尻を合わせるために、言い訳が増えていく姿。

そういう違和感を、見ないふりはできなかった。


選ばなかった道は、逃げた道ではない。
引き受けられないと判断した道だ。

自分の器に合わない場所で戦わない。
背負えない役割を引き受けない。
それは弱さではなく、現実的な責任感だと思っている。

自分が崩れたら、結局、誰かに皺寄せがいく。
だから、引き受けない判断にも、ちゃんと責任がある。


それを選ばなかったからこそ、守れたものがある。
崩さずに済んだ関係もある。
失わずにいられた感覚もある。
仕事の基準や、言葉の重さや、生活のリズムや、
自分の中にある「これだけは譲れない」という芯。

何かを選ぶということは、同時に何かを捨てることだ。
だが、捨てることは、必ずしも失うことではない。

むしろそれは、
自分の輪郭を守るための選別だ。


選ばなかった道は、今もどこかに残っている。
たまに思い出すこともある。
だが、振り返る必要はない。

今立っている場所が、あの時の判断の結果なら、
それでいい。

人は、選ばなかった道の数だけ、
自分という輪郭をはっきりさせていく。

そうやって、静かに、
今の場所に立っている。