いくつになっても勉強はした方がいい
建設業界にいると、勉強が苦手って人が多い。
だからこうやって現場をやってるんだ、なんて言う。
それ自体は別にいい。
現場が悪いなんて1ミリも思ってない。
私も現場で飯を食ってきた人間だし、現場でしか分からない価値があるのも知ってる。
でもさ。
その割に、同じ口でこう言う。
「もっといい仕事ないかなぁ」
「もっと単価いい現場ないかな」
「元請けから直接もらえないかな」
ここからが現実なんだが、
“もっと上”を取りに行くなら、勉強する以外に方法はない。
資格を取るにしても、語学や技術を身につけるにしても、
結局、勉強した人間しか手に入れられない世界がある。
勉強が嫌で逃げてる人で、上に立つ人は俺は見たことがない。
これは根性論じゃなくて、構造の話。
上に立つ人間って、
判断する。責任を取る。説明する。交渉する。
しかも相手は、現場の職人だけじゃない。
経営者もいるし、役所もいるし、監査もいるし、法律も絡む。
だから必要になる。
知識と裏付けが。
その裏付けとして、資格が効く。
効き方が、強烈に。
私は、舐められるのが嫌だった。
だから勉強した。
逃げずに積んで、一級の国家資格をいくつも取った。
作業員名簿の資格欄も一人だけすべて文字で埋まる。
「資格なんて無意味」
「資格マニアだな」
そう言う人もいる。
でも、そう言う人に限って、ほとんど資格がない。
資格がないことが悪いって言いたいわけじゃない。
ただ、取ったことがない人間が、価値を下げて語るのは違うって話。
取ったことがないから、しんどさが分からない。
挑んだことがないから、重みが分からない。
だから「無意味」って言える。
現実は逆だ。
資格は、現場でめちゃくちゃ効く。
取引先と話す時。
銀行と交渉する時。
書類を出す時。
役所が絡む時。
そして、法人を経営して“選択肢”を増やしたい時。
資格があるだけで、会話のスタートラインが変わる。
信用の入り方が変わる。
相手の目つきが変わる。
同じ内容を言っても、
「誰が言ってるか」で通るか通らないかが決まる場面がある。
その“誰が”を強くするのが資格だ。
つまり武器だ。
もちろん、資格があっても仕事ができない人はいる。
それも事実。
でも逆に言えば、資格がある人間が実力も伴った時、ほぼ無敵になる。
だから私は取った。
悔しいなら、黙って積めばいい。
証明してしまえばいい。
中卒だからとか、高卒だからとか、
そんな話に逃げる人がいるけど、私はそこじゃないと思ってる。
学歴じゃない。
“今”どうするかだ。
学生時代に勉強して、大学に行って、社会に出てからも伸びる人がいる。
一方で、遊んで勉強せず、今になって「勉強はしたくない」と言って現実から目を背ける人もいる。
厳しいことを言うけど、
そのままだと人生は何も変わらない。
若い頃に勉強してこなかったなら、
大人になって人の2倍、3倍以上やるしかない。
追いつく方法はそれしかない。
そして大事なのは、いつ気付くか。
勉強してこなかった人は、いかに早くそれに気づくか。
気づくのが遅いほど、取り返す時間がなくなる。
生きていくだけの必要最低限の収入で過ごすなら、
別にそれでもいいのかもしれない。
それを否定する気はない。
でも私は違う。
常に、より高みを創造したい。
自分の人生の可能性を信じて、飛躍し挑戦し続けたい。
日々そう望んでいる。
資格は確実に、あった方がいい。
それに気づいていない人は、価値を理解していないんじゃない。
まだその境地に達していないだけ。
じゃあどうするか。
簡単なこと。
苦手と向き合って、勉強して、積み上げる。
難しい資格・難題にも挑む。
“できる側”に自分を引き上げる。
未来を明るくするのは、気分じゃない。
積み上げたものだけなんだ。
できない理由を語る暇があるなら、1ページでも進めろ。
口先だけの人生ほど、ダサいものはない。
やればやるだけ人生は豊かになるから。
周りがやらなくても私はやり続ける。

